私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『白痴』 ドストエフスキー

2007-01-07 19:23:30 | 小説(海外作家)


スイスの精神療養所で成人したムイシュキン公爵はロシアの知識を持たないまま故郷に帰ってくる。純真で無垢な心を持った彼はあらゆる人から愛されるが、同時に混乱も引き起こす。
ロシアを代表する文豪ドストエフスキーの長編小説。
木村浩 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)


若干、読むのに苦労をする作品であった。
というのもこの作品、脱線がずいぶん見られたからである。ほとんど主筋に関係のない(と僕は思った)話がたまに挿入されて、何でこんな話をここで読まなくちゃいけないのかと思うことしきりであった。特にイポリートの『弁明』はあそこまで紙面を費やすものだったのか疑問である。
もちろんドストエフスキー作品ではそういったことは往々にして見られることである。でも今回はそれがやたらに鼻についた。読んでいるときの心理状態にもよるだろうけれど。そのため、今回は『悪霊』や『罪と罰』よりも、作品の質として落ちるという印象を受けた。

とはいえ、この作品、脇の脱線した話はともかくも主筋である、ムイシュキン、ナスターシャ、ロゴージンにアグラーヤの愛憎絵巻などは単純におもしろく読むことができた。
それは実に波乱に富んでいるし、ドストエフスキーの持ち味である人間心理の機微が堪能できるものに仕上がっている。確かに冗漫さは目立つけれど、さすがはドストエフスキーといった内容となっている。

この作品にはいくつかおもしろい場面がある。
たとえば最初の方、ムイシュキンがナスターシャに告白し、彼女がそれを蹴ってロゴージンの元へ走るシーン。他にはロゴージンがムイシュキンを襲うシーン、などなどは好きだ。
しかしやはり一番のメインは、ラスト付近のナスターシャとアグラーヤという、本編二大ツンデレヒロインの口論だろうか。それは女のプライドを賭けた戦いとなっていて、男である僕は本当に恐ろしかった。いやあ、女って怖いものだ。

しかしナスターシャも悲劇的な人だと思う。
男に囲われ、時には男たちから商品扱いされているという事情。彼女自身は悪くないのに自分は罪深いかもしれないと考えなければいけない状況。そこから脱しようと彼女なりの誇りを持って、立ち向かった中で公爵に出会った。しかし自分では公爵を不幸にすると気付き、そこから迷走とも言うべき矛盾した行動を取り続ける。
僕からすれば、彼女の行動は決して賢くはない。
しかし、そんな彼女にはどのような選択肢があったのだろう。えらそうなことを言っておきながら、僕自身もはっきり言ってわからないでいる。そう考えると、ナスターシャには幸せな道がなかったみたいであまりにも悲しく思えてしまう。

そしてその悲劇をさらに加速したのは、エヴゲーニイが指摘した通り、登場人物たちが自分たちの行動に「真剣なところがすこしもなかったから」だろう。
誰も自分の感情を正確には理解していなかった。ラストのリザヴェータ夫人のセリフがメタファーになっているが、誰もが幻想を追い求めていたのだろうと思う。
元々善人で理想主義的なムイシュキンはひとりの女性を救うという幻想を抱き、ナスターシャは自身の不幸から引っ張りあげてくれるかもしれないという状況に幻想を抱き、アグラーヤは恋とそれに対する嫉妬という幻想に耽溺する。
そして重要なのは、最終的に誰もがそれに伴う現実的な面に耐えられなくなっていっているという点だ。それが何よりも悲劇であり、用意された結末に至るのは必然だったと言えるかもしれない。

ありきたりでまとまりがないが、ひと言でまとめるなら鮮やかで残酷な悲劇と言ったところだろうか。
いろいろな欠点がある作品だが、ドストエフスキーらしい作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


他のドストエフスキー作品感想:
『悪霊』
『虐げられた人びと』

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